聖マリアの無原罪教育宣教修道会では、子どもたちや若者たちがキリスト教的教育を通して真の幸福を見つけられるようお手伝いしています。

 

福音の分かち合い

 
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わたしがあなたがたを愛したように
2016-04-24
ヨハネによる福音 13章 31-33、34-35節
 
「互いに愛し合いなさい」という言葉は、キリスト教の中では一番多きなモットーとなっています。教会は人間の集まりなので、どうしてもいざこざは付き物ですが、それでも相手を受け入れ、相手を愛そうと努力するのがキリスト者です。でも今回は、「愛し合いなさい」という言葉より、「わたしがあなたがたを愛したように」という言葉の方が重みを感じました。苦手な人や自分とは異質の人などを受け入れよう、愛そうとばかりしているうちは、所詮、努力でしかないのだと思います。今回、この福音を読んで、「愛する」とは、イエス様を模範にしなければならないのだと、改めて考えさせられました。努力する「愛」は、自分中心、主人公が自分であるように思います。でも、イエス様が私たちを愛してくださったように愛するということは、基準がイエス様で、イエス様に目を向けているのだと思います。しかも、私たちがイエス様の愛で相手を愛することによって、周りの人々が、私たちがイエス様の弟子であることを知る事を目的としています。ただ「愛する」のではなく、イエス様のように愛して、自分たちがイエス様の弟子であることを宣言しなければならないのだと思いました。
 
わたしを愛しているか
2016-04-10
ヨハネによる福音 21章 1-21節
 
今 日の福音は、イエス様がペトロに、「わたしを愛しているか」という質問を3回されました。以前、同じ質問をイエス様から受けたことがあります。ペトロが質 問されたように自分にもされているのを、ふと感じました。その時心の中で、「わたしを愛しているか」「はい」と答えました。2回目も同じように「はい」と 答えたのですが、3回目に「本当に愛しているか」と聞かれた時、「分かりません」と答えてしまったのです。イエス様に問われながら自分の心の中を見たと き、思い悩みや執着、好きなことややりたいことなどなど、イエス様以外の物事があまりにも多く自分の心を占めているのが見えてしまい、素直に「はい」と答 えることが難しくなってしまったのです。でも、今日のこの福音では、ペトロは自信を持って「はい、主よ、あなたを愛しています」と答えています。ペトロは 一度、イエス様を裏切る経験をし、そのイエス様の眼差しを目の当たりにしました。そしてペトロは、復活の時、自分のすべてを無条件にイエス様に受け入れら れているのを感じたのでしょう。そんなペトロの体験がイエス様への愛となって溢れているのだと、この福音を読んで感じました。私たちも、イエス様の愛をど れほど深く感じているかが大事なのだと思います。どんなに悩み事があっても、どんなにイエス様以外の物事に心がとらわれてしまっても、イエス様に愛されて いるという信頼を強くしたいと思います。
 
あの方の手に釘の跡を見、
2016-04-03
ヨハネによる福音 20章 19-31節
 
イエス様は復活されてから、何度も弟子たちに姿を見せられました。復活された当日、早朝でのマグダラのマリアから始まり、エマオでの道で現われ、弟子たちに「あなたがた平和があるように」と言って現われ、1日のうちに多くの弟子たちが復活のイエス様を体験します。それぞれの福音書で、それぞれの復活体験の描き方がとても興味深く、イエス様はいつも個人として私たちと出会ってくださっているのを感じます。そのなかでも、今日のトマスは特別であるのを感じました。トマスほど復活のイエス様に出会った人物はいないのだと思います。釘跡やわき腹の傷に実際に指を入れたかどうかは別として、このイエス様とのやり取り、触れ合いは、誰よりも強く現実的であったように思います。そして、揺るがない信仰の恵みをトマスは受けました。このようなトマスの信仰を、私たちも持ちたいと思います。
 
見て、信じた
2016-03-27
ヨハネによる福音 20章 1-9節
 
復活の場面ですが、イースターの最初の日に読まれるこの箇所は、とても静かな復活体験となっています。イエス様本人は出てきません。本当に信じるしかない、真の信仰が描かれている場面のように感じます。このような静的復活物語というイメージの中で、マグダラのマリアや弟子たちの動きが鮮明に感じられました。マリアは「走って行って」「彼らに告げた」。二人の弟子は「外に出て」「墓へ行った」。ペトロは「見た」。もう一人の弟子は「見て、信じた」。マリアや弟子たちの驚きや、動かずにはいられない様子などが印象的です。そして、どんなに動いても、イエス様の姿がどこにもないということが、心を打ちます。この福音を読みながら、現代の私たちの信仰とよく似ているように感じました。肉眼で見えるイエス様の姿はありません。私たちも、空の墓だけを見て信じているようなものです。イエス様の像、ご絵、イエス様についての様々な話や教理、聖書に描かれているイエス様の姿、他の人の信仰の分かち合い、そして祈りのうちに与えられる恵み、私たちはこれらを「見て」、「信じて」います。今日の福音は、私たちに一番近い復活体験の話であることを心に刻みたいと思います。
 
わたしもあなたを罪に定めない
2016-03-13
ヨハネによる福音 8章 1-11節
 
今日のこの福音では、誰が正しく、誰が罪深い人かを問われているような気がします。律法学者やファリサイ派の人々は、自分たちは正しいと、正義を振りかざし、姦通の女をイエス様のもとに連れてきました。その理由は、イエス様を試して、訴える口実を得るためであると聖書には書いてありますが、自分たちは正しいと思い込んでいるファリサイ派の人々は、実際には正しくないことが伺われます。またさらに、罪人として連れてこられたこの女性がいますが、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石を投げなさい」というイエス様の言葉で、誰一人石を投げる者がいなかったことから、律法学者やファリサイ派の人々は、自分たちは罪を犯したことを自覚していることが分かります。つまり、罪人はこの女性のようではなく、実はファリサイ派の人々であり、律法学者たちも正しいようで正しくないのだと言っているのです。とても不思議です。そして、最後にイエス様は、罪人として連れてこられたこの女性のことを罪人とはしませんでした。「わたしもあなたを罪に定めない。」この言葉は、私たち一人ひとりに言われているのでしょう。そして「だから、もう罪を犯さないように」とも言われています。イエス様の優しさ、暖かさに触れたようでした。

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