聖書では羊は良いもの、ヤギは悪いものに例えられています。マタイの25章31−46節は、羊を右にヤギを左に分けて、右側の人々を祝福し、左側の人々を呪っています。自分は羊かヤギか。
でも、本当に羊を天国にヤギを地獄に分けることができるのでしょうか。
白 い紙を羊に、黄色い紙をヤギに見立てます。半分に折った物をたくさん準備し、上半分にはその人の行動、した半分にはその動機を書いておきます。例えば、羊 である白い紙には、上段に「皆の嫌がる仕事を引き受けた」下段に「皆から感謝され、一目置かれたかった」。ヤギである黄色い紙には、上段に「友達を殴っ た」下段に「他の友達を守るために」など。羊の上段には良い言動、下段にはその良い言動をするにあたって悪い動機を、ヤギの上段には悪い言動、下段にはそ の悪い言動にいたる良い動機や、そうせざるを得ないその人の背景をたくさん書いておき、それらを子どもたちに配ります。1グループに1セットを配り、グループで話し合いながら、天国の箱、地獄の箱、どちらにも分けられない箱に入れていきましょう。
たぶん、ほとんどが天国にも地獄にも分けられないでしょう。私たちはその人の表面的なことで、その人を評価したり判断することはできないのです。不愉快な言動を見たとき、好ましくない言動をされたとき、その人の動機や背景を想像し理解する力を養うことが大切です。
例:羊
「皆の嫌がる仕事を引き受けた」・・・「皆から感謝され、一目置かれたかった」
「自分に悪いことをした友達を無条件でゆるした」・・・「自分に悪いことをしたこの人が、他の人達から好かれているから、ここで怒ったら自分が皆から非難されると思った」
「優しい」・・・「人に嫌われるのが怖い」
例:山羊
「友達を殴った」・・・「他の友達を守るために」
「仲良くなろうと近づいてきた友達に、無愛想にした」・・・「今まで皆からいじめられていて、近づいてくる人を警戒してしまう癖がついている」
「わがまま」・・・「子供の頃から何でも好きなようにしてもらっていたため、それがわがままであることが分からない」
など。
でも、本当に羊を天国にヤギを地獄に分けることができるのでしょうか。
白 い紙を羊に、黄色い紙をヤギに見立てます。半分に折った物をたくさん準備し、上半分にはその人の行動、した半分にはその動機を書いておきます。例えば、羊 である白い紙には、上段に「皆の嫌がる仕事を引き受けた」下段に「皆から感謝され、一目置かれたかった」。ヤギである黄色い紙には、上段に「友達を殴っ た」下段に「他の友達を守るために」など。羊の上段には良い言動、下段にはその良い言動をするにあたって悪い動機を、ヤギの上段には悪い言動、下段にはそ の悪い言動にいたる良い動機や、そうせざるを得ないその人の背景をたくさん書いておき、それらを子どもたちに配ります。1グループに1セットを配り、グループで話し合いながら、天国の箱、地獄の箱、どちらにも分けられない箱に入れていきましょう。
たぶん、ほとんどが天国にも地獄にも分けられないでしょう。私たちはその人の表面的なことで、その人を評価したり判断することはできないのです。不愉快な言動を見たとき、好ましくない言動をされたとき、その人の動機や背景を想像し理解する力を養うことが大切です。
例:羊
「皆の嫌がる仕事を引き受けた」・・・「皆から感謝され、一目置かれたかった」
「自分に悪いことをした友達を無条件でゆるした」・・・「自分に悪いことをしたこの人が、他の人達から好かれているから、ここで怒ったら自分が皆から非難されると思った」
「優しい」・・・「人に嫌われるのが怖い」
例:山羊
「友達を殴った」・・・「他の友達を守るために」
「仲良くなろうと近づいてきた友達に、無愛想にした」・・・「今まで皆からいじめられていて、近づいてくる人を警戒してしまう癖がついている」
「わがまま」・・・「子供の頃から何でも好きなようにしてもらっていたため、それがわがままであることが分からない」
など。