聖マリアの無原罪教育宣教修道会では、子どもたちや若者たちがキリスト教的教育を通して真の幸福を見つけられるようお手伝いしています。

 

福音の分かち合い

 
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すべて準備されている
2020-04-11
マタイによる福音 28章 1-10節
 
今日は復活徹夜祭です。コロナウィルス感染拡大防止のため、教会での祭儀に預かることはできませんが、今日読まれる福音を黙想し感じたことは、イエス様は復活するにあたり、段階を踏んで弟子たちに復活の事実を伝えていったということです。婦人たちは、復活の主に出会う前に、地震と天使の知らせと空の墓を目撃するという心の準備がありました。弟子たちにとっては、婦人たちから聞いた「ガリラヤへ行くように」というイエス様の言葉が、復活の主に出会う準備となったのではないか。よく考えると、神様はいつでも私たちにさまざまなことを語られているように思います。それはすべて、私たちを神様に導く準備に思われます。主の復活は、神様が人類を救うためにずっと前から準備されていました。神様は世界のはじまりの時から人間を救うと、約束されていました。約束の歴史が旧約聖書に記されていますが、すべてが主の復活のための準備だったように思います。普段の生活の中で、神様の声に耳を傾け、その愛に感謝し、神様は私たちをどこに導こうとされているのか、識別していきたいと思います。
 
主はユダに罪を犯させなかった
2020-04-10
ヨハネによる福音 18章 1節~
 
聖金曜日の受難の朗読では、ヨハネの福音が読まれますが、ユダの裏切りの合図である接吻の場面が出てこないことが印象に残りました。他の福音書と違い、ユダが接吻する前にイエス様は自ら進み出て、「誰を探しているのか」「わたしである。」と言われ、ご自分を差し出されました。ユダに罪を犯させなかった。こんな所でも、イエス様はすべての人を愛し、ユダをも愛しておられたのを感じます。ユダに裏切り行為をするスキを与えず、自らを差し出す姿を通して、ヨハネ福音書ではイエス様の愛を伝えているのだと思いました。
 
もう泣かなくともよい
2016-06-05
ルカによる福音 7章 11-17節
 
当時、イスラエルでの葬式に参加する人々は、葬式の笛に合わせて声を上げて泣きながら棺の後について行列をするのが慣わしでした。悲しいかどうかは別として、大声を上げて体中で悲しみを表現するのが礼儀だったようです。この福音箇所でも棺が担ぎ出されるところだったため、泣き叫んでいる人々がその場にいただろうと想像します。町の人が大勢そばに付き添っていた中で、イエス様は亡くなった青年の母親に目をとめました。「憐れに思い」という記述がありますが、泣き叫んでいる人々の中で本当の悲しみの中にいるこの母親の姿が、とても際立って見えます。その中でも「もう泣かなくともよい」というイエス様の一言が、ものすごい大きな慰めの言葉に思えました。町の人々は、共に悲しんでこの母親を慰めようと、半分演技も含めながら泣き叫んでいましたが、イエス様は全く違う形で、この母親を慰め、その言葉が心に染み渡るのを感じます。そして、イエス様の慈しみはこの言葉だけに終わらず、本当にもう泣かなくてもよいようにと、死んだ息子が帰ってきた、今日のこの福音は、イエス様の慈しみ深さと力強さ、そして優しさをとても感じました。
 
神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた
2016-05-29
ルカによる福音 9章 11-17節
 
5つのパンと2匹の魚の奇跡です。パンは5つしかなく、パンが増えたとはどこにも書いてありません。しかし人々は食べて満腹しました。これは好きな福音の一つですが、今回は普段とは違う箇所が心にとまりました。パンの奇跡の前にイエス様が何をしていたか、です。「神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた」とあります。「治療の必要な人々をいやす」というのは、とても現実的なものです。「神の国」という霊的な話をしながら現実的な恵みをもたらしていたイエス様は、もっと現実的な恵みを人々にもたらしました。空腹を満たすという、人間として最も必要不可欠なものです。イエス様は宣教活動をするとき、多くの場合、霊的な救いと肉体的な救いを同時にもたらしてくださいました。このパンの奇跡も、空腹が満たされながら、人々の心に感動がもたらされたはずです。病気が癒され、「神の国」についての話を聞いて心が踊り、パンを食べて神様を賛美する。人々の賛美が、残ったパン屑として溢れ出ているようです。
 
わたしの平和を与える
2016-05-01
ヨハネによる福音 14章 23-29節
 
「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る」「わたしは、平和をあなた方に残し、わたしの平和を与える」。イエス様の言葉は、「互いに愛し合いなさい」です。その言葉を守るなら、イエス様を愛するのは当然のことなのでしょう。そして、そのイエス様が私たちに平和をくださったのです。その平和とは、いったいどのようなものなのかと考えさせられました。この言葉のすぐあとで、「心を騒がせるな」「おびえるな」とイエス様は言われます。心を騒がせていない平和。イエス様の平和は、勇気と裏表のような気がしました。安定した心、穏やかな心で、力強くイエス様のために働き、イエス様を愛し、イエス様の言葉を守る。キリスト者として私たちは、本当に多くの恵みを頂いているのだと思いました。

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