聖マリアの無原罪教育宣教修道会では、子どもたちや若者たちがキリスト教的教育を通して真の幸福を見つけられるようお手伝いしています。

 

福音の分かち合い

 
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空の墓
2015-04-05
 ヨハネによる福音 20章 1−9節

男の弟子達が絶望とおそれに打ちのめされているとき、マグダラのマリアは主のご遺体の葬りを丁寧にしようとの思いで、夜が明けるのを待ちわびて、墓へと急ぎゆきました。そして、そこに見たのは空の墓でしたが、すぐにこのことを知らせにペトロ達のところへと帰りました。そこから弟子達も行動をおこして墓へと急ぎます。そこで彼らがみた空の墓は、単に「空の墓」ではなく、イエスの復活を信じるきっかけとなります。マグダラのマリアについては福音書ではとても情熱的で行動的な女性として描かれているかと思いますが、その根底にあるのは彼女の主への揺るぎない信仰心ではないでしょうか。私はこのマグダラのマリアのような一途な主への信仰心を祈り求めたいと思います。
 
シスター こじま

 
 
主がお入り用なのです
2015-03-29
 ルカによる福音 11章 1−10節

私は神学を学んだことも、聖書を教えたこともありませんので、勝手解釈をお許しください。修道院での朝の祈りは、初めにその日の福音を皆で斉唱し、それから一時間の個人の黙想となります。幾度かその箇所を祈りの中に読み返し、心に響く一句を書き留め、その時間の最後に、一人ひとりが発表します。Lectio Divina風ですね。
「主がお入り用なのです。」この言葉が、私に響きます。イエスが二人の弟子たちを使いに出されます。まだ誰も乗ったことのない子ろばを連れてくるように言われ、また、誰かに何か問われた時に返す言葉さえ教えてくださるのです。その弟子たちはこれから起ころうとしているイエスの受難と復活は全く知る由もありません。しかし、“主”が言われた通りにすると、それがその通りになり、また、つながれた子ろばを連れて行こうとする弟子たちの行動を人々は許してくれます。こうしてイエスのエルサレム入城は実現していきます。
私は思うのです。「“主が”お入り用なのです。」という声を真直ぐ受けとめ、主のご計画が遂行されていくことを、私は許しているだろうかと。“私の”欲するところを優先してしまいがちではないかと。主がお入り用のことを優先すれば、ちょうど繋がれていた子ろばがほどかれたように、主によって真に自由な身と心にされるのだと。
いと高きところにホザンナ!
シスター いのうえ
 
まさにこの時のために来た
2015-03-22
ヨハネによる福音 12章 20−33節

イエス様はご自分の使命が何であるかご存知で、ご自分の受けた召命が何であるか、分かりすぎるほど分かっていたのだと実感しました。自分がどんな召命を神様から受け、どんな使命を生きようかとはがし求める私たちとは対称的に感じます。そして、その使命を果たすためには、誰にでも十字架がつき物なのだということにハッとしました。今、世界が、国が、修道会が、変わろうと、より良くなろうと、試行錯誤しているときのように感じます。でも、その時にこそ、十字架に力強く向かっていったイエス様に目を向け、十字架の伴う使命を自ら選ばれたイエス様に倣いたいと思います。
管理者
 
御子によって世が救われる
2015-03-15
ヨハネによる福音 3章 14—21節

「罪からの救い」というとピンと来ない人が多いようです。「罪」「救い」といっても、自分のことだという実感がわかないのでしょう。私も、自分にとって「救い」とは何なのか、何から救われなければならないのか、長いあいだ分からないでいました。そして、自分にとっての「救い」を見つけることが、キリスト者として生きるひとつの課題となっていました。
でもある日、気づいたことがあります。「罪」というのは、神様から離れた状態、つまり、神様に完全に信頼できないで悩んだり苦しんだりしていることだということです。人は誰でも悩みや辛いことをもっています。それは人間の弱さであり、神様に完全に信頼しないという「罪」であるとも言えるのではないでしょうか。でも、神様に信頼すれば、悩みの中にあっても希望があるはずです。それこそ「救い」なのだと気づきました。キリスト者であることがすでに「救い」だったということです。私はイエス様を知っています。イエス様は「神の国はあなたたちのところに来ている」「悲しむ人は幸い」「わたしは世の終わりまであなたがたと共にいる」・・・と、幸せの訪れを言い続けていることも知っています。それを信じている私たちには、救いが与えられているのです。まさしく「御子によって世が救われる」の言葉通りです。そして、「救い」の与えられた私たちがするべきことはただ一つ、この「救い」を人々に伝え、人々がどんなに苦しくても、どんなに悩みがあっても、希望と幸せをもてるようにと願い働くことです。
シスター おくむら
 
神殿とは、御自分の体のことだったのである
2015-03-08
ヨハネによる福音 2章 13―25節

母の胎内にいた時に、私は組み立てられていた。しかし、7ヶ月くらいで組み立て終了。この世に生まれてきたらしい。それが原因で、支障が現れる。
先日、3月4日に本屋さんで「ボケてしまった老人とコミュニケーションを取る方法」という本のCDを見た。身体は健全なのに見えていない、聞こえていない、側に立っても人のいることに気づかないで遠くにいる様子、「今ここに在る」こととして反応できないでいる、そんな映像を見ながら、ハッとした。私の霊魂もこれと同じ!!
隣の人々から、刺激やコンタクトがあってもうわの空。ましてや神さまのコンタクトには何の反応もない。ゾーっとした。
私はこれを「霊魂のボケ老人」と名を付けた。見えるようになりたい。
シスター いかり

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