聖マリアの無原罪教育宣教修道会では、子どもたちや若者たちがキリスト教的教育を通して真の幸福を見つけられるようお手伝いしています。

 

福音の分かち合い

 
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聖霊降臨
2020-05-31
ヨハネによる福音書 20章 19-23節
 
今日は聖霊降臨の祭日。教会の誕生日とも言われる大祝日。聖霊が私たちにくださるたまものについて黙想しました。イエス様は、「聖霊を受けなさい」と言って私たちに聖霊を送ってくださいました。聖霊、私たちを良い方向へと導いてください。私が道をそれようとする時、正しい道を教えてください。聖霊、何が正しいことなのか、何が神様の望みなのかを教えてください。聖霊、神様のみ旨を行う勇気を私にください。
 
イエス様の道
2020-05-10
ヨハネによる福音書 14章 1-14節
 
「その道をあなたがたは知っている」私たちは、イエス様の道を知らないわけではない、ということを今日は意識させられました。と同時に、すでに知っているのに、なかなか行きつかないのを感じました。生涯の課題として、一人一人が生きているのだと思います。
昨日の福音に続き、フィリポの「そうすれば満足できます」という言葉の裏に、現状に満足していないフィリポの姿を見ますが、私たち自身も不満ばかり抱えているように思います。あれが気に入らない、ああなったらいいのに・・・など。自分がどれほど現状に満足しているかによって、それが幸せのバロメーターになっているように思います。現状に満足している人は、幸福を感じるのではないでしょうか。私たちは幸せである必要があります。目の前にどんなことが起ころうとも、満足してそれを受け入れているかどうか。それこそ、イエス様の道なのだと思います。イエス様は十字架を担われましたが、私たちにとってイエス様の十字架を共に担うことは喜びになるはずです。不満を抱えていては、いつまでたってもイエス様の道は見えてこないでしょう。イエス様は私たちに幸せを与えてくださっています。それを信じることができなければ祈るしかない。一人一人歩む道は違っても、行き着く先はイエス様でありたいと願います。
 
主は共にいてくださる
2020-04-26
ルカによる福音書 24章 13-35節
 
エマオでの二人の弟子は、イエスだと分かった時に、イエスの姿が「見えなくなった」と表現していますが、見えなくなったということは、目に見えないだけでその場にはいるということに解釈できます。自分がこの場面にいたならば、「目が開け、イエスだと分かったが、イエスはいなくなっていた」と表現しそうです。それが、「その姿は見えなくなった」という所に、この弟子たちには、イエスの姿は見えないだけで今も共にいてくださっているのを、心の底から感じていたのではないかと思いました。イエス様は、復活の後ずっと「あなたがたと共にいる」と言ってくださっています。復活のイエス様に本当に出会えば、たとえ姿は見えなくてもイエス様は私たちと共にいてくださっていることが、実感できるのではないかと思いました。普段の生活の中で忘れがちですが、コロナウィルス感染拡大防止のためにミサに預かれず、ご聖体もいただくことができない状況にあります。イエス様を見ることができなくても、イエス様は共にいてくださることを信じる、信仰を試されているように感じます。
 
外に出る勇気
2020-04-12
ヨハネによる福音 20章 1-9節
 
主が墓から取り去られた知らせを、マグダラのマリアから聞いたペトロとヨハネは、外に出て墓へ行ったという、この言葉が印象に残りました。イエス様が亡くなり、弟子たちはユダヤ人を恐れて家に閉じこもっていたにもかかわらず、勇気を出して一歩外へ踏み出す姿を感じました。ヨハネは福音書を書くに当たり、「外に出て」という表現をわざわざ用いたことに、家の中から外に出ることの一大事さを感じました。しかし、一歩外に出ることのちょっとした勇気と小さな行動が、復活の希望へとつながっていくのだと思います。一歩外に出て主のもとへと走る勇気、一歩外へ出て人々に主の復活を宣べ伝える勇気、一歩外へ出て人々に手を差し伸べる勇気が与えられるように祈りたいです。
 
すべて準備されている
2020-04-11
マタイによる福音 28章 1-10節
 
今日は復活徹夜祭です。コロナウィルス感染拡大防止のため、教会での祭儀に預かることはできませんが、今日読まれる福音を黙想し感じたことは、イエス様は復活するにあたり、段階を踏んで弟子たちに復活の事実を伝えていったということです。婦人たちは、復活の主に出会う前に、地震と天使の知らせと空の墓を目撃するという心の準備がありました。弟子たちにとっては、婦人たちから聞いた「ガリラヤへ行くように」というイエス様の言葉が、復活の主に出会う準備となったのではないか。よく考えると、神様はいつでも私たちにさまざまなことを語られているように思います。それはすべて、私たちを神様に導く準備に思われます。主の復活は、神様が人類を救うためにずっと前から準備されていました。神様は世界のはじまりの時から人間を救うと、約束されていました。約束の歴史が旧約聖書に記されていますが、すべてが主の復活のための準備だったように思います。普段の生活の中で、神様の声に耳を傾け、その愛に感謝し、神様は私たちをどこに導こうとされているのか、識別していきたいと思います。

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