一言でいうと「出会い」です。人との出会い、関わりの中で神様はご自分を表すことがあります。私は最初から修道生活を望んでいたわけではありませんでした。幼児洗礼で習慣的に日曜のミサに預かる程度で熱心な信仰生活があったわけでもありません。ただ社会人として働くうちに、自分はキリスト者としてどのように生きていきたいのかと悩む時に、いつも神様にお願いをしていました。「あなたを私は見たいのです」と。
それから、いろんな修道会の黙想会に行ったり、ワールドユースデーに参加したりして、たくさんの方に出会いました。青年たち、宣教師、司祭・・・。そのつながりの中で、社会人生活もそれなりに楽しみながら、本会のシスターに出会いました。本会の神戸の祈りの会に数年間通い続けました。この会のシスターは素朴で話しやすかったです。なので、修道生活への憧れや宣教師への憧れがでてきましたが、不安もあって決断できないままの日が続きました。しかし、答えを伸ばしても年だけとっていく・・・わけで、困った時の神頼み、神様からはっきりとした答えをもらおうと黙想したわけです。
神様は私に「修道者になりなさい」とは、おっしゃいませんでした(笑)。しかし、今まで私が歩いてきた道を思い出させてもらい、私の家族、友人、お世話になった方々が、数珠、いやロザリオの珠のように連なっていて、そのどこか1つが欠けても、私はここまでこれなかったということが分かりました。そして、神様が答えをくれるのではなくて、私が答えをもっている。自分の道はどの方向へ進むかということが分かりました。気持ちが楽になって、「憧れ」をとって「不安」を捨てることにしたのです。
偉そうな事を言いますが、人生は一度きりです。そして、一回の決断したからこれで良いとかいうこともありません。私は今でも悩むし、分からないことがいっぱいあります。でも、創立者が言うように、「前進あるのみ」だと思っています。
神に感謝