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聖書の学び資料

汚れた霊に取りつかれた男を癒やす

マルコによる福音書 1章 21-28節
 
 カファルナウムとは、ガリラヤ湖の北側にある小さな村で、ペトロ、アンデレ、ヨハネ、ヤコブの故郷です。ペトロは結婚しており、その義母もこの村に住んでいました。また、カファルナウムは国境となっていたため、税関があったりローマ兵が多く滞在する村でした。イエス様はしばらくこの村を拠点に活動されるのですが、これはカファルナウムに到着してすぐの頃の話です。その日は、安息日でした。安息日とは、ユダヤでは土曜日のことで、1週間のうち6日間働いた後に休む日として定められており、休むための規定が多く定められていました。料理をしてはいけない、漁に出てはいけない、畑仕事はしてはいけない、何歩以上歩いてはいけない等々。聖書を読んだり祈ったりするのです。イエス様は、その安息日にあえて人を癒やします。安息日は人を癒やすのにふさわしい日であると考えてのことだったのでしょう。
 この会堂で、イエス様は何を教えたのかは書かれていませんが、人々は今まで聞いたこともない話を聞き、驚きます。この「権威」という言葉(ギリシア語:エクスーシア、ふぇぶらいご:シャルタン)は、神様にだけ用いられる語です。マルコは、イエス様は神様であることを表現したかったようです。汚れた霊に取りつかれた男も「神の聖者だ」と叫んでいるように、イエス様の聖性を強調しています。現代では、イエス様は神でもあり人でもあり、人性と神性をもつ二性一人格であると信じていますが、福音書の書かれた時代は、どちらかというとイエス様の神性を強調していました。これらの表現は、その表れであると言えます。
 当時、医学があまり進歩していなかったため、病気はしべて、その人やその人の親、先祖の犯した罪によってもたらされると信じられており、けいれんを起こすような病気や精神障害などは、汚れた霊の仕業であると考えられていました。イエス様がその人の病を、悪例を叱ることで癒されたのは、当時の人々の思想に基づくものです。そして、ここでも悪例に打ち勝つという、イエス様の神としての姿が強調されて描かれています。

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