聖マリアの無原罪教育宣教修道会では、子どもたちや若者たちがキリスト教的教育を通して真の幸福を見つけられるようお手伝いしています。

 

福音の分かち合い

 
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このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる
2015-08-09
ヨハネによる福音 6章 41節−51節

命のパン、生きたパンについての福音がしばらく続いています。永遠の糧、飢えることのないパンについて話す場面が他にもありますが、その時、イエス様は天の父のみ旨に従うことが自分の糧であると言われました。私たちは毎週あるいは毎日ミサでご聖体であるイエス様の体を、心の糧としていただきます。このパンをいただくことは、神様のみ旨をしっかり見極め、それに従う生き方をするよう努力するべきでもあるのでしょう。今日は、この生きたパンを食べるならば、永遠に生きるのだと言われました。ご聖体をいただき、神様に従うことを心の糧として生きるならば、本当の幸せを手に入れ、いつまでもその幸せに浸ることができるのです。
 
信じなさい
2015-08-02
ヨハネによる福音 6章 24−35節

ヨハネの福音書は、ヨハネの長い黙想の結果が現れていると言われています。今日の箇所は、実際の出来事よりもヨハネが黙想をして得た深みが詰め込まれているように感じます。ここでは、お腹を満たす食べ物ではなく、心を満たすものの大切さを述べています。イエス様こそ、乾いた私たちの心を潤し、満たされない思いを取り去って、本当の幸せへと導いてくださるのです。そして、ここで強調していることは「信じなさい」。そんなイエス様を信じなさい。それだけで心には幸せが満ちるでしょうと。イエス様を信じれば、神様のために精一杯働くようになるでしょう。普段している勉強や仕事を神様のために、誰かに対する優しい振る舞いを神様のために、友達と遊ぶ時も神様のために、誠実にその物事と向き合うのです。これほど充実した人生はないのではないでしょうか。
 
5つのパンと2匹の魚
2015-07-26
ヨハネによる福音 6章 1−15節

この、5つのパンと2匹の魚を5000人の人が食べて満腹した話は、4つの福音書すべてで取り上げられています。そして、この福音箇所を、多くの人々が様々な考えで捉えています。人々のかたくなな心を見たり、人々の感動を見たり、人々の分かち合いの精神を見たりします。
大勢の群衆が後を追ったのは、「イエスが病人たちになさったしるしを見たから」として、人々の目先の利益を求める姿が表されたり、
フィリポとアンデレの違いを見ながら、少年がパンと魚をアンデレに持ってきた所から、アンデレの近づきやすさや親しみやすさを見たり、
あるいはアンデレがその少年に気づいたことから、アンデレはよく気が付く人だったことが読み取れたり、そのようなことからアンデレは教育者の模範であるとも言われています。
また、少年が持っていた5つのパンと2匹の魚は、一人分にしては多すぎることから、初めから分かち合うつもりで持っていたと考えられたり、
「草がたくさん生えていた」という表現から、生き生きした命がそこにあることを表していたり、
「イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、・・・人々に分け与えられた」と、最後の晩餐をほのめかしていたり、ミサの先取りであったり、
「パンの屑」は、クズだけど、12の籠いっぱいになることで、神様を賛美しているのだと捉えることができたり。
このようにこの福音箇所には多くのメッセージが含まれています。これを黙想し、今の自分はどの部分に心がとまるか、この中から何を深めたいかは、その時々、その人それぞれでしょう。福音書の豊かさを感じます。
 
深く憐れみ
2015-07-19
マルコによる福音 6章 30−34節

今日の福音は、イエス様の暖かさ優しさがいっぱいに溢れている感じがしました。一生懸命働いた弟子たちを思いやってねぎらい、他の人に邪魔されないように配慮しています。しかしご自分は、どんなに疲れていても、悩みをかかえて集まってくる人をすべて受け入れ、また働きます。弟子に対する思いやりと、人々に対する暖かさが見られ、この福音を読む私たちも暖かい気持ちになります。
さらに、この福音を読んだ上で拝領唱を見ると、また違ったメッセージがこの福音に含まれているようにも思います。「主は仰せになる。『わたしは戸口に立ってたたく。わたしの声を聞き、戸を開くなら、わたしは中に入って、その人と食事をともにする。』」イエス様は悩む人を一切拒まず、すべての人々を受け入れて癒してくださるけれど、イエス様に寄りすがっていく私たちも、自分の心の扉を開いて、イエス様を迎え入れているのだと。一方通行なのではなく、互いに行き来する関係が大切なのだと思いました。
 
二人ずつ組にして遣わすことにされた
2015-07-12
マルコによる福音 6章 7−13節

私たちはミサに預かることによって、1週間の疲れを癒し、これからの1週間に向けて派遣される力を受けます。今日の福音では、弟子たちがそのように派遣される場面ですが、その際、杖1本の他は何も持つことを許されませんでした。食料もカバンもお金も着替えも持たないで、手ぶらで出かけるのです。このように出かける旅行は、相当の信頼を神様に対してもっていなければなりません。ただ一つ与えられるものと言ったら、「汚れた霊に対する権能」。当時、病気はその人の罪のため、精神障害は悪霊のためにもたらされると考えられていました。そのため、病気を治すということは、体の癒しのみならず、心の癒しをももたらすものでした。「悪霊に対する権能」というのは、その悪霊に打ち勝って、その人に心と体の癒しを与えるということです。手ぶらで出かけるほどの神様への信頼があれば、おのずと人を癒す力となるのではないでしょうか。手ぶらで出かける必要はないけれど、そんな神様への絶大な信頼をもって、日々の生活へと派遣され、生きたいと思います。

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