聖マリアの無原罪教育宣教修道会では、子どもたちや若者たちがキリスト教的教育を通して真の幸福を見つけられるようお手伝いしています。

 

福音の分かち合い

 
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イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた
2016-02-21
ルカによる福音 9章 28-36節
 
ご変容の出来事ですが、これは何のために起こった出来事なのか、一体どういう出来事なのかよく分かりません。なぜわざわざこんなことが起こり、なぜ3人の弟子だけがその場にいて、この出来事にどのような意味が含まれているのか。しかし、今回この福音箇所を読みながら一つだけ思ったことがあります。イエス様は祈るために山に登り、祈っておられたのです。変容のために山に登ったのでも、モーセをエリヤと話すために登ったのでも、栄光に包まれた姿を弟子たちに見せるためでもなく、祈るためでした。これからエルサレムで受ける苦しみを前にして、天の御父に祈らざるをえなかったのではないかと想像します。このように想像していると、ふと、モーセとエリヤは、そんなイエス様を励ましに来たのではないかという思いになりました。イエス様がエルサレムで遂げようとしている最期、受難について話していた、励ましていた、この出来事はイエス様にとって大きな力、勇気となったのではないでしょうか。そんなイエス様と心を同じにして、この四旬節を過ごしたいと思います。
 
悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた
2016-02-14
ルカによる福音 4章 1-13節
 
イエス様は洗礼を受けられた後、荒れ野に行き、そこで悪魔から誘惑にあわれたと聖書にはありますが、この誘惑とは、人間が受ける誘惑すべてを表現していると言われています。空腹を味わう時に受ける誘惑、すべての人の上に立つという権力欲、そして神をも支配したいという誘惑。しかし、ここで注目すべきことは、イエス様はこれらの誘惑に対して、すべて聖書の言葉で悪魔を退けている事です。私たちの迷いのすべては、聖書を通して解決できるのです。聖書の言葉で救われたという人も大勢います。このみことばの力強さに、とても感動しました。
もう一つ目が留まる箇所は、「悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた」という言葉です。悪魔の誘惑は、イエス様が通過しなければならなかった一種の義務のようなもので、時が来ればもう一度この誘惑をイエス様は受けることになっているということです。つまり、その「時」は私たちすべてのために命を捧げられた十字架・受難の時で、それが私たちのため、私たちへの愛のためであったと同じように、この荒れ野での誘惑もやはり私たちのためであったということなのでしょう。今日の聖書の箇所の最後の言葉が印象的であると同時に、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
 
主よ、わたしから離れてください
2016-02-07
ルカによる福音 5章 1-11節
 
「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」この言葉は、とても不思議に思います。自分は罪深い者だから私に近づかないで、と言うのなら、自分が後ろに下がって、あるいは舟から飛び降りれば良いのにと思ってしまいます。実際、ペトロはイエス様の復活の後、イエス様の姿を認めると舟から飛び降りました。舟から飛び降りてイエス様から離れることができる熱さの持ち主であるペトロが、それをしないで、イエス様に自分から離れてくれと言うのは、矛盾あるいはとても失礼なことのように思えます。しかし、「わたしから離れてください」と言うだけで離れなかったペトロは、離れたくなかった、むしろ近づきたかったのでしょう。復活の後に湖に飛び込んだのはイエス様に近づくため、「わたしから離れてください」と言って自分は離れようとしなかったのは、イエス様に近づくため。そんなペトロの純粋な思いに感動します。わたしはあなたに近づきたい。その思いを胸に日々を過ごしていきたいです。
 
福音
2016-01-24
ルカによる福音 1章 1-4節、4章 14-21節
 
福音とは、「幸福」の"福″「幸せ」の、「音便」の"音″「手紙」のことです。つまり「神様からの幸せの便り」が福音です。今日の箇所は、その幸せの便りの始まりであり、福音がここから始まります。イエス様が読まれた聖書は、弱い人、苦しんでいる人への福音です。何の悩みも何の苦しみもない人間などいないと思います。イエス様は、すべての人に対する福音をもたらしてくださったのだと、つくづく感じました。福音は、この自分のためでもあるのだと思ったとき、その「福音」が、自分にとってどんな意味を持ち、何であるのかは、それぞれが考えていかなければならないと思います。自分にとって、悩みを抱えていたり、様々な問題に直面しながらも、幸せであるのは神様の恵みです。神様からの幸せは、どんなことがあっても揺らぐことがないのだと思います。
 
この人が何か言いつけたら
2016-01-17
ヨハネによる福音 2章 1-11節
 
こ の福音は、マリア様の注意深さや配慮、イエス様への絶対的な信頼と信仰を表しています。ぶどう酒が足りなくなったことに気づいたのはマリア様であり、当時 の習慣でぶどう酒が足りないということはものすごい恥ずかしいことであることを知って、こっそりイエス様になんとかしてほしいと願い、それを断られてもイ エス様ならなんとかしてくれるという信頼を持って、召使たちに「この人が何か言いつけたら・・・」と頼まれました。このような絶大な信頼は、マリア様が、 イエス様の生まれる前から神様の計らいや奇跡を見てきたためであると思います。今日の福音から、マリア様に対する憧れを感じながらも、このようなマリア様 のもつ絶大な信頼は、やはり神様からの恵みであったと思わざるを得ませんでした。私たちが信仰の恵みを受けて洗礼を受け、信仰生活を歩ませていただいてい るのも、神様の大きな恵みであると思います。カナの婚礼の奇跡でも、水がぶどう酒に変えられながらも、品質の劣るものではなく、最高のぶどう酒に変えられ ました。望んだ以上を与えてくださる神様の寛大さです。

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