聖マリアの無原罪教育宣教修道会では、子どもたちや若者たちがキリスト教的教育を通して真の幸福を見つけられるようお手伝いしています。

 

福音の分かち合い

 
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あの方の手に釘の跡を見、
2016-04-03
ヨハネによる福音 20章 19-31節
 
イエス様は復活されてから、何度も弟子たちに姿を見せられました。復活された当日、早朝でのマグダラのマリアから始まり、エマオでの道で現われ、弟子たちに「あなたがた平和があるように」と言って現われ、1日のうちに多くの弟子たちが復活のイエス様を体験します。それぞれの福音書で、それぞれの復活体験の描き方がとても興味深く、イエス様はいつも個人として私たちと出会ってくださっているのを感じます。そのなかでも、今日のトマスは特別であるのを感じました。トマスほど復活のイエス様に出会った人物はいないのだと思います。釘跡やわき腹の傷に実際に指を入れたかどうかは別として、このイエス様とのやり取り、触れ合いは、誰よりも強く現実的であったように思います。そして、揺るがない信仰の恵みをトマスは受けました。このようなトマスの信仰を、私たちも持ちたいと思います。
 
見て、信じた
2016-03-27
ヨハネによる福音 20章 1-9節
 
復活の場面ですが、イースターの最初の日に読まれるこの箇所は、とても静かな復活体験となっています。イエス様本人は出てきません。本当に信じるしかない、真の信仰が描かれている場面のように感じます。このような静的復活物語というイメージの中で、マグダラのマリアや弟子たちの動きが鮮明に感じられました。マリアは「走って行って」「彼らに告げた」。二人の弟子は「外に出て」「墓へ行った」。ペトロは「見た」。もう一人の弟子は「見て、信じた」。マリアや弟子たちの驚きや、動かずにはいられない様子などが印象的です。そして、どんなに動いても、イエス様の姿がどこにもないということが、心を打ちます。この福音を読みながら、現代の私たちの信仰とよく似ているように感じました。肉眼で見えるイエス様の姿はありません。私たちも、空の墓だけを見て信じているようなものです。イエス様の像、ご絵、イエス様についての様々な話や教理、聖書に描かれているイエス様の姿、他の人の信仰の分かち合い、そして祈りのうちに与えられる恵み、私たちはこれらを「見て」、「信じて」います。今日の福音は、私たちに一番近い復活体験の話であることを心に刻みたいと思います。
 
わたしもあなたを罪に定めない
2016-03-13
ヨハネによる福音 8章 1-11節
 
今日のこの福音では、誰が正しく、誰が罪深い人かを問われているような気がします。律法学者やファリサイ派の人々は、自分たちは正しいと、正義を振りかざし、姦通の女をイエス様のもとに連れてきました。その理由は、イエス様を試して、訴える口実を得るためであると聖書には書いてありますが、自分たちは正しいと思い込んでいるファリサイ派の人々は、実際には正しくないことが伺われます。またさらに、罪人として連れてこられたこの女性がいますが、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石を投げなさい」というイエス様の言葉で、誰一人石を投げる者がいなかったことから、律法学者やファリサイ派の人々は、自分たちは罪を犯したことを自覚していることが分かります。つまり、罪人はこの女性のようではなく、実はファリサイ派の人々であり、律法学者たちも正しいようで正しくないのだと言っているのです。とても不思議です。そして、最後にイエス様は、罪人として連れてこられたこの女性のことを罪人とはしませんでした。「わたしもあなたを罪に定めない。」この言葉は、私たち一人ひとりに言われているのでしょう。そして「だから、もう罪を犯さないように」とも言われています。イエス様の優しさ、暖かさに触れたようでした。
 
放蕩息子のたとえ
2016-03-06
ルカによる福音 15章 1-3、11-32節
 
今日のたとえ話は、3つのことを私たちに訴えかけているように思います。①「弟」である徴税人や罪びとは、この自分であるということ、②ファリサイ派の人々や律法学者をたとえている「兄」の回心を望むこと、そして③慈しみ深い天の神様をたとえた「お父さん」に、この自分もなれるよう努力することです。私たちはこの3つのどの人物でもあり得ます。「弟」は、回心して家に戻ったわけではなく、お腹がすいていたために「お父さん」のもとに戻ってきました。「お父さん」は、「弟」の回心より家に戻ってくることを望んでいたのです。それに対して「兄」は、常に「お父さん」とともに家にいながら嫉妬という罪を犯しています。そして「お父さん」は、「兄」の回心を望んでいます。このたとえ話を読みながらとても面白いと思いました。一見、「弟」の方が悪く回心の必要性を感じますが、「お父さん」は「弟」の回心より「兄」の回心を望む。矛盾に見えますが、神様は人間とは異なる目を持っておられるのを、このたとえ話を通して、つくづく思いました。
 
悔い改めなければ
2016-02-28
ルカによる福音 13章 1-9節
 
イエス様は、「悔い改めなければ、ピラトに殺されたガリラヤ人のように、シロアムの塔の事故で死んだ18人の人と同じように滅びる」と、言われました。だから悔い改めなさいと言われますが、悔い改めるべき内容とは何でしょうか。自分は、本当に悔い改めなければならないと思っているでしょうか。この福音を読みながら、そんなことを自分に問いかけてみました。この四旬節、節制を生き、回心を心がけ、祈りに励み、犠牲を行いますが、何よりもまず、自分が悔い改めるべき事柄を見出すことが第一なのだと思いました。自分は悔い改めるべき事柄が何であるかを分からないでいたら、神様にゆるしを願うことも回心の恵みを頂くこともできません。自分をよく振り返り、毎日の糾明を大切にしたいです。そして、この話を前提にイエス様が話された次のたとえ話も、考えさせられました。このように「悔い改めなければ滅びる」と言いながら、滅びを引き伸ばすためにイエス様は御父にとりなしてくださっています。実のならない木を切り倒そうとするのを、切に頼んで来年まで待つようとりはからう園丁の姿は、イエス様そのものです。そんなイエス様の好意を無駄にしないよう、四旬節の業に励みたいと思います。

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