聖マリアの無原罪教育宣教修道会では、子どもたちや若者たちがキリスト教的教育を通して真の幸福を見つけられるようお手伝いしています。

 

福音の分かち合い

 
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もう泣かなくともよい
2016-06-05
ルカによる福音 7章 11-17節
 
当時、イスラエルでの葬式に参加する人々は、葬式の笛に合わせて声を上げて泣きながら棺の後について行列をするのが慣わしでした。悲しいかどうかは別として、大声を上げて体中で悲しみを表現するのが礼儀だったようです。この福音箇所でも棺が担ぎ出されるところだったため、泣き叫んでいる人々がその場にいただろうと想像します。町の人が大勢そばに付き添っていた中で、イエス様は亡くなった青年の母親に目をとめました。「憐れに思い」という記述がありますが、泣き叫んでいる人々の中で本当の悲しみの中にいるこの母親の姿が、とても際立って見えます。その中でも「もう泣かなくともよい」というイエス様の一言が、ものすごい大きな慰めの言葉に思えました。町の人々は、共に悲しんでこの母親を慰めようと、半分演技も含めながら泣き叫んでいましたが、イエス様は全く違う形で、この母親を慰め、その言葉が心に染み渡るのを感じます。そして、イエス様の慈しみはこの言葉だけに終わらず、本当にもう泣かなくてもよいようにと、死んだ息子が帰ってきた、今日のこの福音は、イエス様の慈しみ深さと力強さ、そして優しさをとても感じました。
 
神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた
2016-05-29
ルカによる福音 9章 11-17節
 
5つのパンと2匹の魚の奇跡です。パンは5つしかなく、パンが増えたとはどこにも書いてありません。しかし人々は食べて満腹しました。これは好きな福音の一つですが、今回は普段とは違う箇所が心にとまりました。パンの奇跡の前にイエス様が何をしていたか、です。「神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた」とあります。「治療の必要な人々をいやす」というのは、とても現実的なものです。「神の国」という霊的な話をしながら現実的な恵みをもたらしていたイエス様は、もっと現実的な恵みを人々にもたらしました。空腹を満たすという、人間として最も必要不可欠なものです。イエス様は宣教活動をするとき、多くの場合、霊的な救いと肉体的な救いを同時にもたらしてくださいました。このパンの奇跡も、空腹が満たされながら、人々の心に感動がもたらされたはずです。病気が癒され、「神の国」についての話を聞いて心が踊り、パンを食べて神様を賛美する。人々の賛美が、残ったパン屑として溢れ出ているようです。
 
わたしの平和を与える
2016-05-01
ヨハネによる福音 14章 23-29節
 
「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る」「わたしは、平和をあなた方に残し、わたしの平和を与える」。イエス様の言葉は、「互いに愛し合いなさい」です。その言葉を守るなら、イエス様を愛するのは当然のことなのでしょう。そして、そのイエス様が私たちに平和をくださったのです。その平和とは、いったいどのようなものなのかと考えさせられました。この言葉のすぐあとで、「心を騒がせるな」「おびえるな」とイエス様は言われます。心を騒がせていない平和。イエス様の平和は、勇気と裏表のような気がしました。安定した心、穏やかな心で、力強くイエス様のために働き、イエス様を愛し、イエス様の言葉を守る。キリスト者として私たちは、本当に多くの恵みを頂いているのだと思いました。
 
わたしがあなたがたを愛したように
2016-04-24
ヨハネによる福音 13章 31-33、34-35節
 
「互いに愛し合いなさい」という言葉は、キリスト教の中では一番多きなモットーとなっています。教会は人間の集まりなので、どうしてもいざこざは付き物ですが、それでも相手を受け入れ、相手を愛そうと努力するのがキリスト者です。でも今回は、「愛し合いなさい」という言葉より、「わたしがあなたがたを愛したように」という言葉の方が重みを感じました。苦手な人や自分とは異質の人などを受け入れよう、愛そうとばかりしているうちは、所詮、努力でしかないのだと思います。今回、この福音を読んで、「愛する」とは、イエス様を模範にしなければならないのだと、改めて考えさせられました。努力する「愛」は、自分中心、主人公が自分であるように思います。でも、イエス様が私たちを愛してくださったように愛するということは、基準がイエス様で、イエス様に目を向けているのだと思います。しかも、私たちがイエス様の愛で相手を愛することによって、周りの人々が、私たちがイエス様の弟子であることを知る事を目的としています。ただ「愛する」のではなく、イエス様のように愛して、自分たちがイエス様の弟子であることを宣言しなければならないのだと思いました。
 
わたしを愛しているか
2016-04-10
ヨハネによる福音 21章 1-21節
 
今 日の福音は、イエス様がペトロに、「わたしを愛しているか」という質問を3回されました。以前、同じ質問をイエス様から受けたことがあります。ペトロが質 問されたように自分にもされているのを、ふと感じました。その時心の中で、「わたしを愛しているか」「はい」と答えました。2回目も同じように「はい」と 答えたのですが、3回目に「本当に愛しているか」と聞かれた時、「分かりません」と答えてしまったのです。イエス様に問われながら自分の心の中を見たと き、思い悩みや執着、好きなことややりたいことなどなど、イエス様以外の物事があまりにも多く自分の心を占めているのが見えてしまい、素直に「はい」と答 えることが難しくなってしまったのです。でも、今日のこの福音では、ペトロは自信を持って「はい、主よ、あなたを愛しています」と答えています。ペトロは 一度、イエス様を裏切る経験をし、そのイエス様の眼差しを目の当たりにしました。そしてペトロは、復活の時、自分のすべてを無条件にイエス様に受け入れら れているのを感じたのでしょう。そんなペトロの体験がイエス様への愛となって溢れているのだと、この福音を読んで感じました。私たちも、イエス様の愛をど れほど深く感じているかが大事なのだと思います。どんなに悩み事があっても、どんなにイエス様以外の物事に心がとらわれてしまっても、イエス様に愛されて いるという信頼を強くしたいと思います。

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